ジャック=ルイ・ダヴィッド - histoire image: info pic, パブリック・ドメイン, リンクによる
ジャック=ルイ・ダヴィッド「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」
皆さん、「絵画」に興味はありますか?
私は、絵を描くのは苦手ですが(下手なので)、見るのは大好きです!
特に好きなのが、ルイ・ダヴィッドによって描かれた「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」です。ナポレオンを描いた代表的な絵画で、実際は白馬ではなく、ロバに乗っていたのは有名な話です。
ナポレオンが好きというのもありますが、この絵を見ると、勇気とやる気がもらえるので、PCのデスクトップにしてます。
皆さんの中にも、スマホの壁紙にしたり、玄関や食卓に絵画を飾っている方がいるのではないでしょうか。
人類と絵画の歴史は古く、「人類最古の絵」は洞窟に動物や手形を描いた、「洞窟壁画」であり、なんと約4万年前に描かれたそうです。
洞窟に描かれた絵画は発展を続け、現在では数億円で取引される絵画があったり、デジタル環境で絵を描くことも可能です。
この記事で紹介する「おすすめの本」は、昔から人々と共にあり、進化し続ける絵画を、当時の経済(生活)と一緒に学ぶことができる本です。
本書を読めば、有名な絵画にまつわる歴史やエピソードを知ることができ、絵画を通して当時の人々が「何を思い、生きたのか」分かります。
絵画は見られるために存在します。人の生活に寄り添った絵画の歴史を知れば、絵画の見方に新たな視点が得られること間違いなしです。
こんにちは。ドムドムです。
読書と本の収集が趣味の、本が大好きな私が、
「面白い!」
「悩みや疑問と向き合えた!」
「新たな知識の扉が開いた!」
と感動したおすすめの本を紹介します。
紹介する本は、
『名画で学ぶ経済の世界史』です。
本の概要
・タイトル:名画で学ぶ経済の世界史 ~国境を越えた勇気と再生の物語~
・著者:田中 靖浩
・ページ数:269ページ
著者は、ビジネススクールや企業研修で講演をされている、現役の会計士の”田中靖浩”氏です。
田中氏は、本ブログの「おすすめの本」で紹介した、『会計の世界史』の著者でもあります。
本書は「名画で学ぶ」とタイトルにある通り、ダ・ヴィンチやゴッホ、レンブラントといった画家の、1度は見たことがある絵画が多数登場します。
そして「経済の世界史」とあるように、当時の人々の生活を、絵画の歴史とエピソードから読み解いていきます。
本の目次
本書では絵画の歴史を、地域・時代ごと7つの章に分け、紹介されています。
- ペストと不況から立ち上がったイタリアの物語
- 貧しさを反骨心で跳ね返したフランドルの物語
- 憎しみを金融パワーに変えたオランダの物語
- 混乱からブランドを生んだフランスの物語
- 反発から新市場を切り拓いたフランスの物語
- 技術革新の不安を乗り越えたイギリスの物語
- 禁欲と強欲から儲けを生んだ新大陸の物語
全部説明すると日が暮れてしまうので(笑)、本ブログではかいつまんで紹介します。
ブログで紹介しきれない、絵画にまつわるエピソードはまだまだあります。
気になる人は是非読んでみてください。
イタリアで芽吹いた絵画の歴史
宗教画から始まった絵画
「絵画の歴史」の出発点は、イタリアです。

『会計の世界史』で紹介したように、当時のイタリアは商人が集まる経済の中心地でした。
ヨーロッパから地中海に突き出た立地のイタリアは、ヨーロッパと東方世界(アラブ・アフリカ・アジア)を結ぶ玄関口として多くの商人が訪れ、栄えたのです。
特に、イタリアの先端(ブーツの先)に位置するシチリア島は、気候が温かく穏やかで、野菜や果実、海の幸が豊富な場所でした。
豊かなシチリア島には、キリスト教徒・イスラム教徒など多くの民族・宗派の人が住んでいました。
「宗教が異なる人たち」が同じ場所にいると争いに発展することがありますが、シチリア島では互いに仲良くやっていたそうです。
キリスト教とイスラム教が共存していた例として、「パラティーナ礼拝堂」が挙げられます。
パラティーナ礼拝堂は金色に輝くモザイク画が有名な観光名所です。
礼拝堂内部には、キリスト教関連の絵画と、イスラム式建築様式が隣り合っています。
ぜひ「パラティーナ礼拝堂」で検索して見てください。金色の内部の装飾に、目を奪われます。
中世にはパラティーナ礼拝堂のような、教会が街中に建てられました。
もともと教会は、修行の場所であり「山奥」など簡単にはたどり着けない場所にあったそうです。
キリスト教徒が増えるに従い、「気軽に祈れる場所」として教会が街中に建てられるようになりました。

信仰心の対象である教会。
「どうすれば多くの信徒が教会に来て、お布施をしてくれるか」必死に考えていました。
教会もボランティアをしているわけではなく、お金が無いと生きていけなかったんです。
そこで教会の関係者が考えたのが、「教会を豪華で大きくすること」でした。
大きく豪華な教会は「ゴシック様式」と呼ばれ、多くの信徒が祈りを(お布施も)捧げたのです。
「信徒が教会に来てくれた。めでたしめでたし」で終わりではありません。
キリスト教をもっと広める必要がありました。
当時は、神父が聖書に書いてある教えを信徒に伝えていたのですが、識字率が低かった中世。なかなかうまく伝わらず、人から人へキリスト教が伝わりませんでした。
またまた悩む教会関係者。
そこで考えたのが「絵を使って説明しよう!」です。
お待たせしました。
ここでようやく、絵画が登場するのです。
聖書に書いてある、「言葉で説明するのが難しい教え」も、絵にすれば見て分かります。
まさに百聞は一見に如かずということです。
「絵画の歴史」の始まりは、キリスト教の教えを広めるために描かれた「宗教画」です。
豪華な教会で、迫力のある宗教画を見れば「ありがたや。キリスト教は素晴らしい!」と思い、他の人にも伝えたくなりますよね!
宗教画で特に多く描かれたのが、大天使ガブリエルが聖母マリアに懐妊を伝える「受胎告知」だそうです。
By Web Gallery of Art: Image Info about artwork, Public Domain, Link
シモーネ・マルティーニ「聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知」
ペストによって花開いたルネサンス
シチリア島をはじめ、ヨーロッパと中東を結ぶ「商人の街」として栄えたイタリア。
しかし、人が集まったことにより不幸が起こります。
それが、ペストの流行です。

ペストは”ネズミ”や”ノミ”を媒介に人に感染し、人の移動と共に世界中に広まりました。
感染すると、皮膚が内出血して黒く見えるため「黒死病」と呼ばれ恐れられました。
治療法もなく、人口の3割が無くなり、都市によっては人口が半減したそうです。
ペストは中世だけでなく、17・18世紀の近世でも度々はやり、多くの人の命を奪いました。
(不謹慎ですが、17世紀ごろに登場した烏のようなペストマスクはカッコいいと思ってしまいます)
ペストの流行は庶民のみならず、キリスト教関係者にとっても厄介でした。
教会の権威が低下してしまったからです。
ペスト患者に寄り添った、親切な神父ほど命を落としてしまったのです。
「神に護られているはずの神父が亡くなる」「いくら祈っても助からない」ことによって、教会の権威はみるみる低下しました。
神も信じられなくなるほど、人々の心と生活に大きなダメージを与えたペストですが、へこたれずに立ち上がる人物がいました。
イタリアを発展させてきた商人たちです。
ペストは商人にも大きなダメージを与えました。
人から人へ感染するペストは、直接会って取引する商人に、特に多く感染したのです。
商人のピンチは、ペストだけではありません。
当時イタリアにあった2つの銀行が、王に貸した借金を踏み倒され倒産するという危機も重なったのです。
資金を提供してくれる銀行の倒産と、ペストの流行。
とんでもないピンチですが、商人たちはへこたれません。
彼らには、どんな時でも「儲けよう」という強いエネルギーがあったのです。
ペストから立ち直るために商人が目を付けたのが、教会です。
王を取引相手にしても、借金を踏み倒される可能性がある。
王以外の取引相手に選んだのが、教会でした。
教会側も、ペストの流行で失われた権威を取り戻すべく、商人と手を結びます。
こうして手を結んだ両者は、商人が資金援助することで、教会の増改築、教会に飾られる絵画や彫刻を次々造りました。
こうしたペストから復興する中で花開いたのが「ルネサンス」です。
By Raphael - Uffizi, Public Domain, Link
ラファエロ・サンツィオ「大公の聖母」
ルネサンスとは「再生・復活」の意味であり、「ギリシャ・ローマ芸術の再生」を意味します。
ペストによって外にも出られず、簡単に命が失われる当時。
治療法もない当時の人々にできることは、家に閉じこもって「祈る」ことだけでした。
「何のために生きている分からない」と、気持ちが沈んでいた当時の人々が憧れを抱いたのが、ギリシャ・ローマ時代の人々でした。
「なんと生き生きと人間らしい生活をしていたのか」
「我々も古き良き時代に帰ろう」
というのがルネサンスの精神です。
そこで活躍したのが、ミケランジェロやレオナルドダヴィンチ、ラファエロといったイタリアの若き芸術家たちでした。
教会と資金援助をする銀行、若き芸術家が合わってルネサンスは花開いたのです。
「ペストの流行」というかつてない危機を乗り越えるべく、人々は燃え、芸術家は希望を与えるべく絵画を描きました。
ルネサンスは、ペストからの復興の象徴だったのです。
北方ルネサンスとオランダ
もう一つのルネサンス
イタリアで花開いたルネサンス。
温暖なイタリアから場所は移り、寒いフランドル地方。
ここで、「北方ルネサンス」が起こります。
フランドル地方とは、ベルギー西部、オランダ、フランス北東部にまたがる地域を指し、あのフランダースの犬の舞台です。
海に面した地域であり、イタリアと同じく貿易で経済が発展しました。
人集まるところに芸術あり。
イタリアで宗教画が栄えたように、フランドルでも絵画が発展しました。
北方ルネサンスを象徴する画家”ヤン・ファン・エイク”の絵を見てください。

ヤン・ファン・エイク「受胎告知」
私は本書で初めてヤン・ファン・エイクを知りましたが、ネットで調べて、その絵の繊細さに驚かされました。
服の凹凸や差し込む光、ガラスから見える風景まで、細かく描かれています。
ヤン・ファン・エイクの繊細な絵に代表される「北方ルネサンス」には、大きな立役者がいます。
それは、「油絵具」です。

油絵具は、食用だった亜麻仁油に顔料を混ぜた絵具で、適度な粘り気が特徴です。
油絵具の誕生によって、重ね塗りや、以前は難しかった細かい表現やグラデーションが可能になりました。
ちなみに、従来の色の付け方は「フレスコ画」「テンペラ画」と呼ばれる技法が中心的でした。
フレスコ画は、主に壁に絵を描く時に用いられる技法です。
(フレスコとは、イタリア語で「新鮮な」を意味する”fresco”が語源です。)
砂と石灰を混ぜた漆喰を壁に塗り、漆喰が乾く前に、水で溶いた顔料で色を付けます。
漆喰が乾く前に塗らなければならず、スピードが要求され、完成したら修正できません。

ミケランジェロ・ブオナローティ - See below., パブリック・ドメイン, リンクによる
フレスコ技法を使用して描かれた ミケランジェロ「最後の審判」
ミケランジェロ「最後の審判」はフレスコ画です。
時間制限がある+一発勝負で描かれたとは思えない画力で、迫力があります。
テンペラ画は、卵を顔料に混ぜて色を付ける技法です。
(テンペラとは、ラテン語で「混ぜ合わせる」を意味する”temperare”が語源です。)
フレスコ画と異なり、時間制限はなく、重ね塗りもできます。
By Leonardo da Vinci - Unknown source, Public Domain, Link
テンペラ技法を使用して描かれた レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
テンペラ画として有名な絵画にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があります。
ダ・ヴィンチはスピードが要求されるフレスコ画が嫌いだったらしく、壁画にしては珍しいテンペラ技法を使用しました。
「フレスコ画」や「テンペラ画」には、時間に制限があったり、やり直しができない「不自由さ」がありました。
フランドルの画家たちの、
「もっと思い通りの絵を描きたい」
「見た人を、アッと驚かせる繊細な絵を描きたい」
という、欲求不満から来る熱意が油絵具を誕生させたのです。
私もプラモデル製作で、人の顔を塗るのに油絵具を使用しており、重宝しています。
以前はアクリル系の塗料を使用していましたが、油絵具は塗っても直ぐに乾かないので、重ね塗りやグラデーションが上手にできます。
普段使っている「油絵具」が開発された経緯を知れて、うれしいく思いますし、油絵具を発明したフランドル地方の人には感謝です。
宗教画からの脱却:オランダの絵画
場所は変わり、フランドル地方の西側、オランダです。
チューリップと風車が有名なオランダ。ここで、絵画の歴史が動きました。
絵画の前に、オランダの成り立ちから見ていきましょう。
15世紀のオランダは、スペインに統治されていました。
オランダが独立するきっかけになったのが、キリスト教を二分するカトリック vs プロテスタントの戦いである「宗教戦争」です。
教会が資金調達のために発行した「免罪符(買えば罪を許してもらえる)」に抗議する、ルターによって新教プロテスタントは生まれます。
Workshop of ルーカス・クラナッハ - Scan by Carol Gerten-Jackson, パブリック・ドメイン, リンクによる
マルティン・ルター(1483-1546)
活版印刷が誕生し、一般庶民も聖書が読めるようになったことで、
「免罪符っておかしくねえか?」
「聖書に書いてあることと、教会がやってることって矛盾してない?」
と疑問に思う人が増え、プロテスタントはどんどん広まっていきます。
教会としては、反教会勢力の新教が広まっては大変。
徹底的に弾圧しますが、抑圧されれば反発するのが人間の性。
プロテスタント同士が団結して抵抗します。
ここで登場するのがオランダです。
オランダを統治していたスペインはカトリック信仰が根強く、オランダにもカトリック信仰を強制し、重税を課していました。
カトリック信仰と重税を課すスペインから独立するための戦いが、オランダ独立戦争(80年戦争)なのです。
ちなみに、オランダと言えばチューリップですが、なぜだか分かりますか?

それは、チューリップが華麗な薔薇に対してつつましい花であり、質素・倹約・勤勉をモットーとするプロテスタント国家オランダにマッチしたからです。
独立戦争に勝利したオランダは、スペインから独立しプロテスタント国家を樹立します。
この後オランダは意外な行動に出ます。
敵対していたカトリックをはじめ、多くの移民を受け入れたのです
移民受け入れ政策によって、世界中からプロテスタントはもちろん、当時迫害されていた裕福なユダヤ人がオランダに続々やって来ました。
ユダヤ人は古くから商売に携わってきており、お金の貸し借りである金融が大得意です。
裕福なユダヤ人をはじめ、多くの商売人が集まったことでオランダは一気に「商売大国」になりました。
アメリカが世界からの移民を受け入れ、発展してきたのに似ていますね。
オランダが「商売大国」になったことで、絵画の文化に新しいページが追加されます。
それまで絵画を発注していた教会や王に変わり、裕福な市民が絵画を求めるようになったのです。
王や教会が相手の時は、もっぱら宗教画が描かれていましたが、市民が絵画を発注することにより、画風に変化が現れます。
市民が相手になると、人物画・風景画、花などを描いた静止画が多くなったのです。
食卓や玄関に絵画を飾っている方なら想像がつくと思いますが、「なんか怖い宗教画」を自宅に飾る人はいなかったようです。
また、自宅に飾れるように絵画が小型化しました。
By Johannes Vermeer - Google Arts & Culture — AHrw. Z3. Av6. Zhjg 9. AHrw. Z3. Av6. Zhjg, Public Domain, Link
ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」
オランダのフェルメールが描いた「牛乳を注ぐ女」は、大きさ45.5cm × 41cmと、A3用紙2枚分しかありません。
画家としては「自分の功績が後世に残るように大きく、ダイナミックな絵を描きたい」と思っても、市民の家にはそんな大きな絵画は飾れません。
絵画が市民のものになったことで、「自分の描きたい絵を描く」のではなく、「必要とされる絵を描く」マーケティング能力が、売れる画家になるために必要になったのです。
反骨精神国家フランス
最後に紹介する絵画の舞台は、フランスです。
あのナポレオンも登場します。
イタリアに追いつくために設立した「芸術家育成学校」
意外なことに当時のフランスは、芸術面でイタリアに遅れをとっていました。
芸術家を志すフランスの若者は、こぞってイタリアに真の芸術を見るために観光に行っていたのです。
そんなイタリアに憧れを持つフランスで、芸術を押し上げた王がいました。
フランス王フランソワ1世です。
ジャン・クルーエ - wartburg.edu, パブリック・ドメイン, リンクによる
フランソワ1世(1515-1547)
フランソワ1世は芸術への理解が深く、故郷を離れたダ・ヴィンチをパリに招いたり、息子のアンリ2世の花嫁として、イタリアのメディチ家からカテリーナを招いています。
芸術大国イタリア出身の、ダ・ヴィンチとカテリーナによって、芸術と料理の文化がフランスに持ち込まれました。
(ちなみに、イタリア出身のダ・ヴィンチの「モナリザ」がパリのルーブル美術館にあるのは、ダ・ヴィンチがフランスに行ったからなのです。)
フランソワ1世の働きかけもあり、「絵画好き」はフランス社会で貴族を中心に広まりました。
しかし、「絵画好き」が行き過ぎて、フランスの財政が悪化してしまいます。
「このままではいけない」と思ったのが、太陽王ルイ14世のお父さんルイ13世です。
ルイ13世は、「王立絵画彫刻アカデミー学校」を設立します。
芸術家を養成する学校を作り、イタリアに負けない芸術大国にしようとしたのです。
そんなアカデミーで育った画家がフランソワ・ブーシェです。
ブーシェは画家である父から教えを受け、イタリアに絵画を学ぶ旅に出たのちに、アカデミー学校に入学します。
アカデミー学校でフランス流の絵画を学び、ルイ15世の「国王の筆頭画家」にまで上り詰めた「努力の人」です。
ブーシェの画風は「ロココ絵画」と呼ばれ、優雅でいて曲線的でふんわりと柔らかい色彩が特徴です。

By François Boucher - scan by User:Manfred Heyde, Public Domain, Link
フランソワ・ブーシェ「ポンパドゥール夫人」
モデルのポンパドゥール夫人は、ルイ15世の公妾です。
ロココ絵画の代表作、ブーシェの「ポンパドゥール夫人」の絵は、貴族たちに大いに受け、自宅に飾られました。
ポンパドゥール夫人は市民に広まった、「元祖アイドル」と言えるんだそうです。
ルーブル美術館を「一般公開」したナポレオン
「ロココ絵画」のような優雅な生活を送る貴族がいる一方、大多数の市民はたび重なる重税に苦しんでいました。
「パンをよこせ」と主婦が行進した「ヴェルサイユ行進」にはじまる、フランス革命の到来です。
国王の処刑の末、市民中心の国家フランスが誕生します。
フランス革命で活躍して皇帝まで登り詰めたのが、ナポレオン・ボナパルト。私が最も好きな偉人です。
ナポレオンは戦いが強かっただけではなく、「大衆の心をつかむこと」もうまかったようです。
ナポイントは、フランスが占領したオランダ、イタリア、スペインから戦利品として、絵画や彫刻といった美術品をパリへ持ち帰り、ルーブル宮殿に保管しました。
そして、ルーブル宮殿の美術品を「一般公開」しました。
王や貴族の「私的所有物」だった美術品が、誰でも見られる「公共財」になった瞬間です。
当時の不安定なフランスにおいて、「私は君たち庶民の見方だ」というナポレオンのイメージ戦略は大成功し、多くの市民が美術品を見るためにルーブル美術館に訪れました。

美術品の「私的所有物」から「公共財」の移行。
これは、絵画の歴史にとって重要なターニングポイントとなりました。
今でこそ、展覧会やネットで自由に見れる美術品ですが、当時は王や貴族しか見ることはできませんでした。
ルーブル美術館で初めて見る、美術品は美しく、生きる勇気を市民に与えたことでしょう。
市民中心の国を樹立したフランスで、美術品が市民の「公共財」になったのは必然だったのです。
絵画は海を渡りイギリス・アメリカへ
ナポレオン戦争にフランスが敗れ、歴史の表舞台は産業革命を成功させたイギリス、新大陸アメリカへ移り、絵画もイギリス・アメリカで発展します。
本ブログでは紹介しませんが、ここでも絵画にまつわるエピソードが満載ですので、本書を読んで確認してください。
最後に
ここまで、「絵画の歴史」をイタリア・オランダ・フランスを中心に紹介してきました。
改めて思うのが、「絵画はたくましい商売人と共にあった」ことです。
商人の街イタリアで開花した「ルネサンス」。
貿易地フランドルで開花した「北方ルネサンス」。
自由を求めた商人の国オランダで、市民のために描かれた絵画など。
人が集まり、お金の気配を敏感に察知する「商売人」がいたからこそ、絵画の歴史は発展してきたのではないでしょうか。
また、商売人の反骨精神・たくましさには驚かされました。
ペストからの復興、宗教戦争からの復興など。
本書を読んで、サブタイトル「国境を越えた勇気と再生の物語」の意味が少しは分かった気がします。絵画だけが国境を越えたのではなく、商売人も同じくビジネスのために国境を越えたのです。
本書を読めば絵画を見る視点や意識が変わります。
おすすめの本ですので、多くの人に知ってもらえれば、絵画好きの1人として嬉しいです。
