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【住宅哲学の本】家を買う前に考えてほしい住宅と心の安心 家を持つと心が苦しくなる?

掲載日:2025/9/29

 

 

突然ですが、皆さんはどんな家に住んでいますか?

一言「家」といっても千差万別で、種類別では戸建て、マンション、私のようにアパート暮らしという人もいると思います。

また、木造、鉄構造、鉄筋コンクリート・・・といった構造も様々。

 

理想の家のことを考えるのは楽しく「どこに建てようか」「広さはどうしようか」「間取りはどうしようか」など。私は建てる予定もお金もないのに、思いにふけることが年に数回あります。

 

屋根の形一つとっても三角屋根、屋根にシャチホコ、瓦葺きなど、居住者の好みが出る家は、住む人の考え方を映す「鏡」と言えるのではないでしょうか。

 

そんな、ただ風雨をしのぐ場所だけではない、生活の中心として人に欠かせない家。

でも、憧れの家を持つことが安心を与えてくれるどころか、「身が苦しくなる」と言われたらどうでしょう。それも900年も昔の、平安時代を生きた人に言われたら。

 

こんにちは。ドムドムです。
読書と本の収集が趣味の、本が大好きな私が、
「面白い!」
「悩みや疑問と向き合えた!」
「新たな知識の扉が開いた!」
と感動したおすすめの本を紹介します。

 

今回は、900年前の平安時代を生きた歌人が「人と栖(すみか)」について書いた住宅哲学の本方丈記』をご紹介します。 

 

 

 

 

◆目次◆

 

本の概要

・タイトル:すらすら読める方丈記

・著者:中野 考次

・ページ数:219ページ

 

本書は、平安時代の歌人”鴨長明(かものちょうめい)(1155~1216)”が書いた随筆・方丈記を、小説家の”中野考次”氏が現代語訳にしたものです。

方丈記は、火事や地震といった天変地異や、妬みや嫉みといった人が生まれつき持っている心の病を実際に体験した鴨長明が、「どうやったら本当の安心を得られるのか」について模索し、たどり着いた自分なりの答えをつづった『哲学書』です。

 

方丈記は多くの現代語訳や解説書がありますが、本書をお勧めするポイントは次の3つです。

  1. 原文と現代語訳が同じページに載っていて分かりやすい
  2. 和歌や当時の状況の解説が充実している
  3. 深い含蓄に満ちた中野氏の鋭い洞察で、鴨長明の人物像に迫っている

 

鴨長明が書いた方丈記の原文は、約10,000文字と随筆としては少ないです。しかし鴨長明は、平安時代の人間。原文のままでは令和を生きる私達にはサッパリ分かりません。本書は、原文と同じページに現代語訳が記載されているので、原文のどの箇所がどういった意味なのかすぐに分かります。タイトル通り「すらすら」読むことができます

 

また本書には、原文と現代語だけではなく中野氏による解説が記載されており、歴史を知らない人でも、当時の状況や和歌について深く理解することができます。

特に、和歌の解説が充実しているのが方丈記の世界観を知る上で重要だと思います。

鴨長明は、後鳥羽上皇によって和歌を研究する機関である”和歌所の寄人(よりうど)”に抜擢される程に、歌人としての才能がありました。上皇にも認められる歌人の鴨長明が書いた方丈記には、和歌が多く登場します。風景を描写するにあたって歌を使い、情趣を表現する時も歌で表現する徹底ぶりです。

和歌についての知識が無いと、方丈記の雰囲気が十分に感じ取れませんし、和歌をただ現代語に置き換えただけでは、歌が持つ独特の表現が変わってしまい、「鴨長明の方丈記」の世界を眺め感じることはできないでしょう。

中野氏は現代語にするだけではなく、分かりやすい和歌の解説と、当時をありありと感じることができる表現で、読者の私たちに方丈記の世界を届けてくれているのです。

 

 

 

 

方丈記には何が書かれている?

ここからは、方丈記の内容について紹介します。

まずは、「方丈記」という題名について。方丈とは「縦横が1丈(約3m)の家」のことを指します。

 

鴨長明は晩年、息苦しい世を離れ、山奥で方丈の庵(小さい住居)を建てそこで暮らしました。

方丈記は鴨長明が人生の晩年58歳の時に、「人生の総括」として、自分の略歴、経験した天変地異、人生観を書き、自分はどんな考えから方丈の庵で余生を送ることになったのか、またそこでの心の状態はどうであるかを書き残した書物ではないかと、中野氏は考察しています。

 

鴨長明の略歴、経験した天変地異

ファイル:Kamo no Chomei.jpg鴨長明(1155~1216)

方丈記に記載されている、鴨長明の略歴および経験した不思議(天変地異)を紹介します。

生誕(1155年)

鴨長明は、京都の加茂御祖神社の神事を統率する禰宜(ねぎ)の次男として、平安時代末期の1155年に生れます。

当時は今と違って個人の自由が認められず、人権が保障されていない厳しい時代です。しかし、鴨長明は神事を統率する父のもと、召使のいる大きな家で裕福な暮らしをしていたそうです。

 

安元の大火:長明23歳(1177年)

長明23歳の1177年。平安京の三分の一を焼く大火災が発生しました。

安元3年(1177年)4月28日、風がはげしく吹く騒がしい夜。都の南東から出火して西北へ燃え広がった。

長明は好奇心が強く、実際に自分の目で火事を見に行ったそうで、火事の様子が正確に表現されています。

「火災によって風の勢いが増し、空に吹き上げられた灰に炎が光り真赤になった」

「風にあおられた炎が何百メートルも飛び、あたり一面を焼き払った」

 

治承4年の辻風:長明26歳(1180年)

治承4年(1180年)4月、都の中心で発生したつむじ風。

大きなつむじ風が吹き、300~400m四方の家々は大きなものも小さいものもみな壊れた。

猛烈な風で家はぺしゃんこに壊れ、驚くことに門が500mも飛ばされたそうです。

長明は「地獄の業風といえどもこれほどひどくはないだろう」と、風の強さを地獄の業風に例えています。

長明はつむじ風が過ぎた後、現場に何度も足を運んだようで、災害復興の大変さも記述されています。

「辻風によって家が破壊されただけではなく、壊れた家の手入れ・修理でけがをして体を壊した人は数えきれない」

 

福原遷都に関わる混乱:長明26歳(1180年)

治承4年(1180年)6月、平清盛の命令で突然、都を京から福原に移すことになります。

天皇をはじめ、公卿は一人残らず福原に移りました。京には誰も住んでいない豪邸が残され、数か月のうちに壁は剥がれ、柱はいかだに変えられ、土地は畑になったそうです。

また、遷都先である福原の準備は何も整っておらず、誰もが浮雲のように落ち着かない様子で、突然の遷都による混乱ぶりがうかがえます。

長明は「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」と、ズバリ一言で見事に表現しています。

 

養和元年の大飢饉:長明27歳(1181年)

1181年~1182年の2年間にわたって多くの餓死者を出した大飢饉。

春夏に雨が降らなかっと思えば、秋には大風や洪水が起き、穀物が全く実らなかった。

朝廷では御祈祷をしたが、効果は全くなく、世の中の人全員が飢えた。

長明の実況報告はすさまじい。

「道端に倒れ死んだ者の数が多く、馬や牛車が通れない程であった」

「母が死んだのに気づかない幼子が、死んだ母の乳首に吸いついたままであった」

 

元暦の大地震:長明31歳(1185年)

元暦2年(1185年)に発生した大地震。

山は崩れて河を埋め、海は傾いて陸を水浸しにした。

大地が避け、水が湧きだし、岩石は割れて谷に転げ落ちた。

浜近くを漕ぐ船は波に翻弄され、道行く馬は足の立て所に迷う。

長明は地震で津波が発生したこと、立てないぐらいの激しい揺れであったことを見事に表現しています。

地震による余震も発生し、一日に20・30回も揺れたそうです。

 

世を離れ方丈暮らしを始める:長明50歳ぐらい

長明は、火事・辻風・飢饉・地震と数多くの災害を経験してきました。

時代の移り変わりによって長明の生活も変わり、父・長継の死によって後ろ盾を失い、自分で家を作って住んでいました。

しかし、家の場所は河原に近く水難の危険があり、盗賊に狙われる恐れもあって、「安心できる場所ではなかった」と当時を振り返っています。また、貧しい生活をしている自分と裕福な暮らしをしている周りを比べると、「心が動揺して苦しいことがある」と、世の中の息苦しさを感じていたようです。

 

そこで長明は生きにくい世の中を棄て、山奥で方丈の庵(小さい簡素な住居)を作り暮らすことになるのです。

 

 

 

 

方丈記のテーマ:心の安心と家

方丈記の前半は紹介したように、長明が経験した不思議(火事・辻風・飢饉・地震)の様子が語られています。

また災害の実況報告のみならず、一度災害が発生すれば豪邸や財産は焼け落ち、飛ばされ、潰れてしまう、無常な存在であることが強調されています。

 

ここからは、方丈記のテーマである「無常な存在である人間がどうすれば心の安心を得られるのか」について読み解いていきましょう。

 

 

無常の世界

原文:ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

 

現代語訳:河を見ていると、水は流れ流れて絶え間がないが、それはむろん同じ水ではなく、つねに新しい水が流れているのだ。

(中野考次. すらすら読める方丈記. 講談社文庫, 2022, p13)

方丈記はこの一句から始まります。

 

川の流れは絶え間ないが、一度として同じ水ではなく、つねに新しい水が流れている。それは自然も人も同じことで、万物は変化し流転している。つまり、無常の存在である

無常というのは仏教の根本的な思想ですが、長明の中には一貫してこの無常という精神が流れていて、方丈記の随所に見ることができます。

 

続けて長明は、

原文:

知らず、生まれ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方(いずかた)へか去る。

 

現代語訳:

わたしにはどうもよくわからないが、たえず生まれたり死んだりを繰返しているこの人間というもの、これはいったいどこから来て、死んでどこへ行くのであろうか。

(中野考次. すらすら読める方丈記. 講談社文庫, 2022, p21)

たえず生き死にを繰り返す無常の存在である人間は、いつかは死んでしまう。

老病死を人間は免れたいと思うが、肉体をもって生まれてきた人間は仏教の言うように因果の律を逃れられず、その中であくせくと生きている。それをどうやったら逃れて安心を得られるのかと言うのが、『方丈記』で鴨長明が問い続けるテーマなのです。

 

わが身と住まい

お待たせしましたここでようやく家(住まい)が登場します。

 

人間を含む万物が無常の存在であるとしたら、人間が造った家も もちろん無常の存在です。

どんなに豪華な家を建てようと、火事があれば燃えてしまうし、突風で飛ばされ、地震が発生すればペシャンコに潰れてしまいます。それは、家だけでなく必死に蓄えた財宝も同じこと。

また、家や財宝を持つことによって心を悩ます心配があります。

「隣の家の方が豪華に見えて嫉妬する」

「近くに他人の家があれば、大声で歌も歌えないし、悲しいことがあっても泣くこともできない」

「財産があったら、誰かに取られないか、他人より多く持っているか気を病む」

など。

 

これらの心配事は平安時代のみならず、今も私たちを束縛し続けているものではないでしょうか。

また、家を持ったら他人と比べてしまう人の性。

数千万円もする高層マンションを購入しても、何階に住んでいるかで劣等感を感じている人を知っています。他人と比べて劣等感を感じるのは、今も昔も変わりません

 

つまり、どんな豪邸を建てようと「心配事や嫉妬で心が休まることはない」のです。

 

心が休まることのない無常の世界を、長明は次のように表現しています。

原文:

世にしたがえば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いずれの所を占めて、いかなる業をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。

 

現代語訳:

世のしきたりに従えばこの身が苦しい。従がわなければ狂人と見られよう。どんな所に住み、どんなことをしていたら、この短い人生をしばらくも安らかに生き、少しのあいだでも心を休めることができようか。

(中野考次. すらすら読める方丈記. 講談社文庫, 2022, p94)

大きい家を持っている人はえらい、財産を多く所有している程優れている。そんな世の中のしきたりに従うと「身、くるし」

かと言って、世の中のしきたりに従わないと「狂人」として見られる。

どうすれば心が休まるのだろうか。t長明は悩み、苦しみます。

 

鴨長明が選んだ方丈の暮らし

「世にしたがえば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり」の無常の世界で長明が出した答えこそ、人里離れた山奥での方丈暮らしでした。

原文:われ今、身の為に結べり。人の為に造らず。

 

現代語訳:私は今、自分自身のためにのみこれを作った。

(中野考次. すらすら読める方丈記. 講談社文庫, 2022, p139)

世の中のしきたりに従って見栄を張るために家を建てるのではなく、自分のためだけに作った方丈の家。

方丈の世界にあるのは、風雨をしのぐだけの簡易的な家と、趣味の琴・琵琶だけ。

 

「近くには他人の家が無いので比べて嫉妬することもない」

「壊れても直ぐに建て直せるので、火事・地震の心配もない」

「盗まれる程価値のあるものはないので、盗賊の恐れもない」

周りから見れば世捨て人ですが、長明は心の安らぎを手にしたのです。

 

本当の「心の安心」を得た長明は言います。

原文:

それ、三界は、ただ心一つなり。心、もし安からずは、象馬(ぞうめ)・七珍(しつちん)もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。

 

現代語訳:

仏の教えに、三界はただ心一つなり、とある。この世界は心の持ちよう一つで決まるのである。心がもし安らかにならないならば、象馬とか七珍といわれる財宝があっても何にもならず、宮殿や楼閣も望むところではない。

(中野考次. すらすら読める方丈記. 講談社文庫, 2022, p157)

「それ、三界は、ただ心一つなり」この言葉、今こそ必要ではないでしょうか。

資本主義が賛美され、貧富の格差が拡大する現在。

どんなにお金を稼いでも、どんな大きな豪邸を建てようとも、心の安心が無ければ幸福とは言えません。心に穴が開いたままです。

長明のような方丈暮らしはできませんが、どうすれば「心の安心が得られるか」も家を購入する際の基準にされてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

最後に

鴨長明が心の安心のために選択した「方丈暮らし」。

紹介はしませんでしたが、方丈記の後半には「方丈での暮らしがどんなに素晴らしいか」長明が活き活きと表現し、読者を方丈の世界にいざないます。

 

最近はスモールハウスや小屋暮らしという言葉も登場し、30歳半ばで退職して小屋を建て暮らしている人もいるそうです。

文明にずっぽりハマった私にはできませんが、老後には意外とありかもしれません。

 

「それ、三界は、ただ心一つなり」

何が心の安心につながるかは人それぞれです。本書が、あなたにとって「心の安心」とは何かを考えるきっかけになればうれしいです。