1943年3月22日、一機の戦闘機がドイツ上空を飛んでいた。
目指すは米軍の重爆撃機編隊。
戦闘機の名前は”bf109G型”。駆るのは、後に重爆撃機を含む52機を撃墜する「ハインツ・クノーケ」。
しかし、速度が重視される空戦において不必要な“モノ”を戦闘機は抱えていた。
250キロ爆弾である。
クノーケは、泣き戦友が編み出したある作戦を実行するために、重爆撃機編隊を目指し重い爆弾を抱えて飛んでいるのである。
こんにちは。ドムドムです。
読書と本の収集が趣味の、本が大好きな私が、
「面白い!」
「悩みや疑問と向き合えた!」
「新たな知識の扉が開いた!」
と感動したおすすめの本を紹介します。
今回紹介する本は、『空対空爆撃戦隊』です。
本書は、これまでに紹介してきた本とは一風変わった、第二次世界大戦のドイツ軍戦闘機パイロットの戦記です。
本書を読んだきっかけは、プラモデル。
押し入れにしまわれていた、ドイツ軍の超有名戦闘機”be109”のプラモデルを作ろうと思い立ったときに、「そういえばbf109のパイロットの本が本棚にあったけ」と思い出しました。
数年前に中古で買った本で、なんのために買ったのか理由は思い出せませんでしたが、読んでみると大空の世界に引き込まれて、プラモデルそっちのけで夢中になって読みました。
そんなわけで今回紹介する1冊は、第二次世界大戦でヨーロッパの空を駆け回った空の戦士の物語です。
本の概要
・タイトル:空対空爆撃戦隊 ~メッサーシュミット 対 四発重爆~
・著者:ハインツ・クノーケ
・ページ数:287ページ
本書は、第二次世界大戦でドイツ軍の戦闘機パイロットとして戦い、52機の撃墜スコアを持つ”ハインツ・クノーケ”の戦記です。
クノーケは戦時中に日記をつけており、そのおかげで本書を通して読者は第二次世界大戦で戦った、一人の若者の感情・生活を垣間見ることができるのです(記録を残しておくのは後世のためにも重要なのですな~)。
日記が基になっていることもあって、日付ごとの出来事がその時の心情と共に詳細に描かれています。初戦の勝利に沸くドイツ、連合軍に押され戦友が一人一人死んでいく孤独がリアルに感じ取れます。
本書に描かれている、あるドイツ軍戦闘機パイロットの物語を紹介しましょう。
大空にあこがれルフトバッフェへ
物語は、クノーケが大空にあこがれるキッカケとなった出来事から始まります。
クノーケが17歳の時に、航空ショーで飛行機に乗るチャンスが訪れたのです。
飛行機は古い輸送機で、飛行時間は僅か15分でしたが、確かにクノーケの心をとらえる出来事でした。
上空から見える小さな町、きれいな景色。
そして地上からは見えなかった大きな雲。「いつしか自分自身で飛べるようになったら、あの雲を飛び越えてやる」と大空へのあこがれを募らせるのです。

月日は流れ、1939年7月5日。
クノーケは、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の士官候補生に志願します。
士官候補生になるための門は狭く、長距離走、やり投げ、心理学テストといった試験を受けます。試験を受けた5人中2人が合格し、クノーケもその1人でした。
士官候補生になりパイロットへの第一歩を歩みだしたクノーケですが、きつい訓練生活が始まります。
1940年2月17日に最初の飛行訓練を受け、4月3日に初めての単独飛行を行います。
後のエースパイロットとしては信じられませんが、試験飛行でへまをやらかし、高射砲部隊に転属される危機があったのだとか。
初めての単独飛行が無事に終わり、地面に着陸した時には思わず「われ成功セリ!」と叫んで喜びを表現したエピソードが紹介されています。
私は飛行機に乗ったことはないのですが、初めての自動車運転の経験と似た感情だと思いました。
免許を取得して初めての運転。助手席には教官の姿はなく、自分ひとりの空間。見慣れた自宅周辺の道路を運転するのにも緊張したものです。そして、初めての高速道路。料金所を通って、高速に入っていくときは緊張のあまり手汗がひどく、ハンドルが湿っていたのを今でも覚えています。さすがに高速を降り、家に帰ってから「われ成功セリ!」と叫んではいませんが。
初戦
正式に戦闘機パイロットになったクノーケは、フランスで戦っていた第52戦闘航空団に配属されます。少尉として第52戦闘航空団に赴いたクノーケは、部下たちから「実戦経験のない坊や」としてなめられてしまいます。
部下からの信頼を勝ち取るには腕を磨き、実戦で役に立つことを証明しなければなりません。
来る日も来る日も飛行練習を続け、ついに実戦の日が訪れます。
任務はフランスからドーバー海峡を渡りイギリス本土へ攻撃を仕掛けること。
無事にドーバー海峡を渡り、イギリスにたどり着きましたが敵に攻撃できずに成果はゼロでした。
そのまま実戦を経験することなく、フランスで訓練に励みます。
1941年6月22日に勃発した対ソ連戦に地上爆撃隊として参加しますが、すぐに北海沿岸の艦隊警護のために移動になります。
飛行場が雪で埋もれ滑走路がうまく使えない状態が続き、任務もあまりない中でしたが、ついに初の戦果を挙げる日が来ます。
相手はドイツ軍を偵察しに来た英軍のスピットファイア。
クノーケはbf109を駆り、高度7500メートルで会敵。
気づかれる前に、機銃を打ち込み撃墜します。
ちなみにスピットファイアのパイロットはパラシュートで脱出し、無事に捕虜になったそう。
この時は奇襲することで勝利したクノーケですが、スピットファイアの強さはドイツ軍で噂になっていたことが記されています。特に、旋回性能はbf109E型では太刀打ちできず、G型が登場してようやく互角以上に戦えるようになったのだとか。
本書には実際に戦ったパイロットが相手をどう見ていたかを知ることができる情報が盛りだくさんなのも、読んでいて面白いところです。
空対空爆撃戦隊への道
スターリングラードでの敗北、米国の本格参戦によって徐々に劣勢になるドイツ軍。
状況が連合軍の優勢になりつつある1943年1月27日。初めて米軍の爆撃機がドイツに襲来します。
米軍の爆撃機は「空の要塞」の異名を持つB24。
16門の重機関銃が死角なく配置されていて、近づくものは穴だらけにされます。
そんな空の要塞が100~300機集まり、編隊を組んで大量の爆弾を降らせにイギリスからやってくるのです。
ドイツ軍の戦闘機も必死に迎撃しますが、ハリネズミのようなB24の防御火力の前に近づくことさえできません。
そんな無敵に見えるB24に対抗する手段として、親友のディーターが素晴らしいアイデアを思いつきました。
それは、「密集編隊で飛んでいるB24の頭上に爆弾を食らわせる」というもの。
早速、bf109に取り付ける250kg演習用爆弾100発とその装置が集められ、爆弾の投下練習が始まります。
練習の結果、爆弾は投下後15秒で爆発するように遅延信管を仕掛け、900メートル上空で投下すると効率が良いことが分かります。
実戦で爆弾を使う機会のないまま1週間が過ぎたある日、爆撃機の迎撃に出撃した親友のディーターが戦死してしまいます。
敵の指揮官機を狙うために、爆撃機の編隊のど真ん中に突っ込んだのが原因で、数十門の機関銃に撃たれたのです。
戦友のディーターの戦死を受け悲しむクノーケですが、ディーターの編み出した「空対空爆撃」を実行すべく機会を待ちます。
そして1943年3月22日。ついにその時が訪れます。
250キロ爆弾を搭載したクノーケのbf109はのろのろと上昇し、7500メートルに到達。
重爆撃機編隊の真上で、爆弾投下のスイッチを押します。
爆弾は編隊の中央で爆発し、1機の主翼が吹き飛び、2機が損傷する大戦果を挙げます。
「クノーケというものが爆弾で重爆撃機を落とした」という情報は、あっという間にドイツ空軍内に広まり、ドイツ空軍最高司令官であるゲーリング国家元帥まで伝わりました。そしてなんとゲーリングから直々にクノーケに電話がかかってきて、評価されます。
他の部隊でも空対空爆撃戦法を使用するように指示が出されますが、クノーケは「この戦術は長続きしない。敵爆撃機に戦闘機の護衛がつくようになったら、重い爆弾を持っていては到底太刀打ちできない」と、冷静に考えていました。
次々と死んでゆく戦友、そして敗戦
空対空爆撃戦法はその後も続けられ、一定の戦果を挙げますが、クノーケが考えていたように米軍の戦闘機が爆撃機の援護につくようになると状況は一変します。
P47サンダーボルトやP38ライトニング、P51ムスタングといった高性能な米軍戦闘機が続々と生産され、航続距離の長いこれらの戦闘機はイギリス本土からドイツまで飛行でき、爆撃機の援護につくようになったのです。
これまでは爆撃機の重機関銃だけが脅威でしたが、俊敏な戦闘機に阻まれ、爆撃機に近づくことさえ困難になったのです。
特にP51ムスタングは高性能で、1943年9月27日の出撃では、出撃したbf109の12機全機が未帰還になり、9名戦死、パラシュートで脱出できたのは僅か3名で、戦果は0機でした。
状況は日に日に不利になりますが、ドイツ本土を守るため爆撃機の迎撃をやめるわけにはいきません。
爆弾の代わりにロケット弾を使ったり、新型機を開発しますが状況は打開できず、毎日のように戦友が犠牲になります。
搭乗員室の壁には死んだ戦友の写真が貼りだされており、一枚一枚と増えていきます。
その時の心情をクノーケは、次のように日記に残しています。
戦友が次々と死んでいく。次はだれだろう。この戦闘はいったいいつまでつづくのだろうか。
来る日も来る日も出撃命令を待つ終わりのない緊張の中で神経を尖らせながらぼくらは暮らしていた。出撃のたびに壁の写真が増えてゆく。
ぼくらは最後の一機まで、最後のパイロットが死ぬまで飛び続けなければならない。
いちばん耐え難いことは待つことだ。他の連中を捕らえたように死神の大鎌が自分を捕らえるのを待つこと。一日、そして容赦なくやってくる次の一日、それを待ち続けることだった。恐ろしいのはいつやってくるのかわからない死を待つことだった・・・
苦しみを分かち合う戦友が死んでいって、勝ち目はないのに戦わなければならない。しかも、いつ終わるのかさえ分からない。
私は戦争を経験したことはないので本当には理解できませんが、終わらない悪夢を見ているような無力感があったのだと思います。
1944年10月。クノーケは車での移動中に地雷を踏んで負傷し、そのまま終戦を迎えるのです。
最後に
本書は、第二次世界大戦を実際に戦ったドイツ軍パイロットである、クノーケの手記が基になっています。
そのため、クノーケが戦争で感じたこと、戦友との絆が誇張や嘘を交えることなくありのまま記されています。戦友が一人、一人といなくなる恐怖、学校に爆弾が落ち多くの子供がなくなる戦争の悲惨さといった”戦争で実際に起きたこと”が経験した本人の言葉で語られているのです。
また、戦い以外で亡くなる人が多かったことが本書から分かります。
・飛行訓練の事故で死んでしまった同期
・輸送機で別の基地に飛んだ時に、エンジンが止まり死亡した戦友
・飛行進路をはずれ、氷にぶつかる・海に不時着して死亡した戦友
クノーケ自身も、
・燃料がもれて、氷河に着陸し2日さまよう
・エンジンから発火し、パラシュートで脱出する
といった直接の戦闘以外でも、多くの危険にあっています。
今では飛行機事故はめったにありませんが、こうした先人の経験のおかげで今の平和で安全な世の中になっていることを改めて思い出させてくれる1冊です。




