
「人間らしい人」と聞いたとき、どんな人を思い浮かべるでしょうか。
- 思いやりのある人
- 感情豊かな人
- 優しい人
でも、考えてみると不思議な言葉です。
私たちは毎日、人間として生きているのに、
「人間らしさとは何か」
なんて、ほとんど考えません。
地元に住んでいる人より、旅行で訪れた人の方が、その土地の魅力に気づくことがあります。
ずっと内側にいると、当たり前すぎて見えないものがあるからです。
だとしたら――
「人間らしさ」を知りたければ、人間以外に聞いた方がいいのかもしれません。
そんな奇妙なことを考えさせられた小説があります。
シオドア・スタージョンの『夢みる宝石』です。
こんにちは。ドムドムです。
読書と本の収集が趣味の、本が大好きな私が、
「面白い!」
「悩みや疑問と向き合えた!」
「新たな知識の扉が開いた!」
と感動したおすすめの本を紹介します。
本の概要
- タイトル:夢みる宝石
- 著者:シオドア・スタージョン
- ページ数:287ページ
『夢みる宝石』には、奇妙で個性的な存在が登場します。
社会から切り離された人々。
人間ではない存在。
奇妙な宝石。
そして、それらを理解しようとする人、支配しようとする人。
少なくとも、私がこれまで読んできたSFではあまり出会わなかったような、社会の外側にいる人々が多く登場します。
しかも彼らは、物語を奇妙に見せるために置かれた「設定」には感じられません。
読んでいると、
「この人たちは、いま本当にここで生きている」
と思えてくるのです。
理解できないものを支配しようとする人間
『夢みる宝石』には不思議な「宝石」が登場します。
宝石たちは、意識があるのか?何を考えているのか?人間に関心があるのか?それすら分からない存在として描かれています。
人間と同じ地球に存在している「宝石」。
それなのに、ほとんどの人間はその存在にすら気づきません。
いや、そこに意志があるかもしれないなど、気づこうとすらしないのかもしれません。
私たちは普段、石を見ても「そこに意思があるかもしれない」などとは考えません。
動かない。話さない。表情もない。
だから、それが何かを考えている可能性など、最初から想像の外に置いてしまう。
でも、それは本当に「何もない」からなのでしょうか。
それとも、「人間には理解できないだけ」だからでしょうか。
人類は有史以来、すでに知っていることは正しく、それと異なることはすべて間違っているにちがいないという根深い考えに呪われてきた。
(シオドア・スタージョン. 夢みる宝石. ちくま文庫, 2023,p.93)
そして、宝石の存在に気づいた人が取った行動は、
「理解する」ではなく「支配する」ことでした。
分からないものは、不安です。
けれど「自分が動かせるもの」にしてしまえば、もう恐れる必要はありません。
人間は、自分と違うものを、分からないままにしておけない。
理解できなければ間違いだと決めつける。
そして最後には、自分の支配下に置こうとする。
だから人間は、理解できないものを理解するより先に、自分が管理できるものへ変えようとするのかもしれません。
どのようにそれが起こるのかは重要ではない。
なぜそれが起こるのかも重要ではない。
だがそれはたしかに起こっているし、わたしはそれを支配できるんだ。
(シオドア・スタージョン. 夢みる宝石. ちくま文庫, 2023,p.89)
この言葉を読んで、私は少し怖くなりました。
彼が知りたかったのは、「宝石とは何なのか?」ではありません。
「自分が宝石を支配できるのか?」だったのです。
理解できなくてもいい。
理由が分からなくてもいい。
自分の命令に従わせることさえできればいい。
そこには、宝石そのものへの興味よりも、支配することへの欲望がありました。
彼らは、ただ彼らとして生きている
本書の中で、人間が宝石という未知の存在に出会ったとき、「これは何だ?」「何のためにある?」「どう利用できる?」と必死になります。
私たちは、新しい物質や動植物に出会ったとき、つい「人間にとって何の役に立つか」という尺度で見てしまうことがあります。
まるで人間が世界の中心にいて、他のすべてのものが人間に使われるために存在しているかのように。
でも相手からすると、
別に人間のために存在しているわけではないんです。
彼らは、ただ彼らとして生き、存在している。
『夢みる宝石』に登場する宝石もそう。
人間に興味なんてない。そもそも何を考えているのかさえ、人間には分からない。
ただ存在しているだけ。
人間が、自分で吐き出した二酸化炭素の分子ひとつの行方を気にしないのと同じ。
人間ではない世界、人間がいなくても成立する世界もあるのではないでしょうか。
彼らはありのままの自分たちでいることに満足していて、ときどき花や猫を作って、彼らだけの考え事をして、どんなに奇妙な生活だとしても、それを生きることで満足している。
彼らは人間たちを狙ってはいないの!まったく気にしていないのよ。
(シオドア・スタージョン. 夢みる宝石. ちくま文庫, 2023,p.212)
人間ではないからこそ、人間が見えた
人間として生まれ、人間として暮らしている私たちは、「人間になる」ことを望んだことなどありません。
最初から人間だからです。
でも、人間ではない存在にとっては違います。
『夢みる宝石』には、宝石から生まれた「ある女の子」が登場します。
彼女は人間ではないからこそ、人間になろうと、人間を理解しようとする。
人間を外から見て、人間に近づこうとするからこそ、私たち自身が見落としている「人間らしさ」が見えているのかもしれない。
彼女は――この世に生まれたどんな人間の女性よりも人間的だった。
(シオドア・スタージョン. 夢みる宝石. ちくま文庫, 2023,p.260)
人間じゃなかったからこそ、人間になりたかった。
人間として生まれ、人間であることに何の疑問も抱かない私たち。
人間ではないからこそ、人間を外側から観察し、人間らしく生きようとした彼女。
- 愛すること
- 誰かを守ること
- 自由を求めること
もし、こうしたものを「人間らしさ」と呼ぶのなら――
人間であることと、人間らしくあることは、本当に同じなのでしょうか。
最後に
『夢みる宝石』を読む前、私は「人間らしい」という言葉をそれほど不思議には思っていませんでした。
でも、人間ではない彼女が誰よりも人間らしく生きようとする姿を読んで、分からなくなりました。
人間であることと、人間らしくあることは、同じなのか。
そして「人間らしさ」とは、本当に人間だけのものなのか。
冒頭で私は、
「人間らしさ」を知りたければ、人間以外に聞いた方がいいのかもしれない。
と考えました。
『夢みる宝石』を読み終えた今、この奇妙な問いは、読む前より少しだけ本当のことのように思えます。
