
突然ですが皆さんは、「甘いスイーツ」は好きですか?
- クリームたっぷりのケーキ
- 苦くて甘いチョコレート
- 日本が世界に誇る甘味「あんこ」
仕事や勉強を頑張った後に食べるスイーツは、それまでの疲れを吹き飛ばすほど甘くておいしいですよね。
ちなみに私は、若いときは大好きだったクリームがいっぱい入ったケーキ、あまーいドーナッツを食べると胃もたれしてしまいます。。。
でも、飴は今でも大好きで、”いちごみるく”と”パインアメ”は3袋は常備しています。
そんな私たちの食生活に欠かせない砂糖。
純白に輝き、上品なイメージのある砂糖。
和食を味付けする順番「さしすせそ」で最初に入れる砂糖。
私たちにとってあまりに身近な存在「砂糖」ですが、どうやって作られるのか?どうやって私たちの元に届くのか?意外と知らないことが多いのではないでしょうか?
今回紹介するのは砂糖の歴史について書かれた本。
その名も『砂糖の世界史』です。
こんにちは。ドムドムです。
読書と本の収集が趣味の、本が大好きな私が、
「面白い!」
「悩みや疑問と向き合えた!」
「新たな知識の扉が開いた!」
と感動したおすすめの本を紹介します。
本の概要
- タイトル:砂糖の世界史
- 著者:川北 稔
- ページ数:208ページ
著者の”川北稔”氏は、ヨーロッパ諸国における近代社会の形成と発見に関する研究をしておられる方で、世界システム論を日本に紹介した人として有名です。
世界システム論については調べたのですが、伝えるのが今の私の知見では難しく、北上稔氏が翻訳した『近代世界システム』という本を購入してありますので、面白ければいつか紹介したいと思います。
難しい話は置いておくとして、本書の目的は、「砂糖という一つの商品を通じて、近代の世界史を見よう」というもの。
つまり砂糖から見える世界史とは?です。
世界史に限らず歴史と言っても、着目するモノによって見え方はまるで違います。
人々の風習・信仰・伝承から歴史を見る「民俗学」、戦術・平坦・軍事史から歴史を見る「軍事学」など、何に着目するかで歴史の印象は180°異なるのです。
本書が着目するモノは”砂糖”です。
なぜ著者は歴史を見るのに、砂糖に着目したのか?
それは、砂糖があらゆる国・地域で広く取引された「世界商品」だからです。
世界商品を知れば今の世界が見えてくる?
砂糖が「世界商品」だと言いましたが、世界商品とは何でしょう?
世界商品とは、あらゆる国・地域で使われ、取引されている商品のことです。
砂糖の他にも、コーヒー、トウモロコシといった食品や、衣服に欠かせない綿、生活に欠かせない石油やテレビ、自動車も世界商品です。

世界商品はその名が示す通り、アフリカの奥地、南極など、人のいるところでは必ず使われている商品です。
そのため、独占すれば莫大な富を得ることができるのが特徴です。
16世紀の大航海時代以降の世界は、その時代時代の「世界商品」をどの国が独占できるかを競走した時代と見ることもできるのです。
実際に、当時の世界商品であった銀、たばこ、香辛料、染料、ゴム、茶、コーヒーなどは、ヨーロッパでは生産されず、いずれもアジア・アフリカ・アメリカでしか得られなかったため、ヨーロッパ諸国はそれらの地域を植民地とすることで、世界商品を独占しようとしました。
そんな、世界商品獲得競争=植民地獲得競争が始まる16世紀初期に登場したのが”砂糖”なのです。
莫大な富を生む砂糖を、安く大量に仕入れるためにヨーロッパ諸国はこぞってアフリカ・アメリカに進出し、結果として地球上の人間の配置すら変え、現代にも大きな影響を与えることになるのです。
不思議に思ったことはありませんか?
「なぜ、アメリカに多くのアフリカ系の人々が住んでいるのか?」
「なぜ、他国に先んじてイギリスで産業革命が起きたのか?」
「なぜ、アフリカや中央アメリカは貧しい国が多いのか?」
この問いの一つの答えは、砂糖や綿織物といった世界商品の歴史を知ることで見えてくるのです。
砂糖の世界史
砂糖は何から作られる?
「砂糖の原材料」つまり砂糖は何からできるか知っていますか?
砂糖の原材料は、「サトウキビ」と「ビート(砂糖大根・てん菜)」です。
▼ビート(砂糖大根・てん菜)

▼サトウキビ

私たちが普段目にする、純白でさらさらした砂糖は、このような植物から作られているのです。
砂糖の他の原材料として、カナダの国旗になっている「かえで」、珍しいところでは竹などがありますが、大量に砂糖を生産できるのはビートとサトウキビしかありません。
現在、世界中で生産される砂糖の割合はサトウキビが80%、ビートが20%です。ちなみに日本は世界と傾向が逆で、サトウキビが20%、ビートが80%の割合で、サトウキビは沖縄、ビートは北海道で生産されています。
このように砂糖と言っても原料は、サトウキビとビートの2種類があるわけですが、本書で取り上げるのは、サトウキビの歴史です。
砂糖に使用されるビートが18世紀になってようやく栽培されるのに対して、サトウキビの栽培は紀元前には開始されており、砂糖としての歴史はサトウキビの方が圧倒的に古いからです。
サトウキビが生まれた場所
まずはサトウキビ誕生の地について。
サトウキビの原産地ですが、詳しくは分かっておらずインドネシアだと考えられています。
ここからサトウキビの歴史が始まります。

インドネシアが位置する南太平洋でのサトウキビ栽培の歴史は古く、紀元前6000年頃にはパプアニューギニアやインドにまで栽培が広がりました。
ここで、サトウキビの栽培を世界に広める出来事が起こります。
それが、イスラム教の勢力拡大です。
7世紀にアラビア半島で生まれたイスラム教は、あっという間にインド、インドネシア、トルコや北アメリカにまで広がりました。
当時の甘味と言えば、はちみつや果物しかありませんでした。大量生産が可能で、他の甘味より圧倒的に甘い砂糖を生み出すサトウキビは、イスラム教徒のみならずあらゆる人に好まれました。
そしてイスラム教徒の手によって、生まれの地、南太平洋からトルコ・北アフリカへ、西へ西へ広がっていったのです。
特に栽培に適したキプロス、マルタ、シチリアなどの地中海一帯では、サトウキビの栽培が広く行われました。
十字軍によってヨーロッパに伝来
ヨーロッパへサトウキビの栽培が伝わるのは、イスラム圏より遅く11世紀末のことでした。
当時のヨーロッパは、イスラム圏より医学や科学の技術、文化のレベルが低く、多くの技術やモノをイスラム圏から輸入していました。
砂糖も例外ではなく、高いお金を払って香辛料などと共にイスラムの商人から購入するしかなかったのです。
しかし、11世紀末に始まった聖地エルサレムの奪還を目的とする十字軍によって、ヨーロッパはイスラム世界から様々な技術を吸収することに成功します。十字軍による行く先々での破壊行為によって、イスラム世界は荒廃しましたが、ヨーロッパは技術を獲得し、繁栄への一歩を歩みだすのです。

イスラム世界から吸収した技術の中には、サトウキビ栽培の方法もありました。
十字軍によってヨーロッパに普及した、サトウキビの栽培技術。
実際にポルトガルは大西洋の島々でサトウキビを栽培、生産することに成功します。
ちなみに、砂糖が伝わってからしばらくは食用というより、なんにでも効く薬として砂糖は重宝されました。
他の食べ物にはない、圧倒的な甘さによって誰もが欲しがった砂糖。
人の数だけ需要つまり「市場」が無限にあったサトウキビの栽培は、莫大な利益を生むことが分かってきます。
しかし、圧倒的な需要に対して大西洋の島々での栽培では、供給が間に合いません。
そこで、サトウキビ栽培はより多くの土地を求めて西へ西へ移動していくのです。
聖書と一緒に海を渡る
11世紀についにヨーロッパに渡ったサトウキビ。
サトウキビの旅はまだまだ続きます。ここから更に西へ西へと移動していくのです。
スペイン、ポルトガルが中心になって始まった大航海時代の到来です。

コロンブスによってアメリカ大陸が発見されると、アメリカ大陸からヨーロッパにジャガイモ、トウモロコシ、トマトといった、現在の私たちになくてはならない植物が持ち込まれました。
アメリカ大陸から持ち込まれたものがある一方、ヨーロッパからアメリカ大陸に渡ったものもありました。
その一つが、サトウキビです。
コロンブスは2回目のアメリカへの航海の時に、サトウキビの苗を携えて行ったと言います。
こうして、東南アジアで生まれたサトウキビは、イスラム世界、ヨーロッパを経由し、ついにアメリカ大陸にまで到達したのです。
サトウキビの特殊な栽培条件
ここまで、サトウキビ栽培が西へ西へ移動するお話をしましたが、こんな疑問を持たれた方もいるかもしれません。
「なんで、サトウキビの栽培が西へ西へ移動したの?同じ場所で作ればいいじゃない」と。
この疑問に答えるためには、サトウキビの栽培条件を知る必要があります。
サトウキビの栽培には、欠かせない条件が3つありました。
- 十分な雨量と温度が必要
- サトウキビを栽培すると土壌の肥料が消耗して土地が荒れる(土地の植物を育てる能力を急速に失わせる作物)
- 栽培し、砂糖へ加工するには大量の労働力が必要
十分な雨量と温度が必要

日本のサトウキビ栽培が沖縄や鹿児島といった、暖かく多くの雨が降る地域でのみされていることからも分かるように、サトウキビが育つには、十分な雨と温度が必要です。
必然的に栽培ができるのは、赤道付近の熱帯気候に属する一部の地域に限定されます。
十字軍によってヨーロッパにサトウキビ栽培が伝わった際も、寒冷なヨーロッパ本土ではほとんど栽培されませんでした。
栽培に適しているのが熱帯気候であるため、サトウキビの栽培に適した赤道線上を、西へ西へ移動したのです。
サトウキビを栽培すると、土地が荒れる
植物の中には、育つ過程で多くの栄養が必要で、土地の植物を育てる能力を急速に失わせるものがあります。

サトウキビも土地の栄養を奪う性質が強い植物で、大量生産を数年続けるとその土地ではサトウキビはおろか、他の植物も育ちにくくなります。
現在では、肥料を与えることでこの問題は回避できますが、化学肥料のない時代には、サトウキビを同じ場所で長年栽培することはできず、次々に栽培地を移動する必要があったのです。
大量の労働者が必要
最後にサトウキビ栽培には、多くの労働力が必要です。
サトウキビは収穫すればそのまま砂糖になるわけではなく、加工する手間が必要です。
その加工が重労働で、収穫してから短時間のうちに、砂糖の原料となるジュースを絞り出す必要がありました。
そのためサトウキビ畑の近くには、収穫したサトウキビからすぐにジュースを絞るための、大規模な工場がセットで設けられたのです。

砂糖を大量生産までに必要なサトウキビの栽培、収穫、そして砂糖への加工には、近代的な工場と同じように、決められた時間に働いて命令をよく聞く、管理された集団労働力が必要だったのです。
もう一つの砂糖の歴史

ここまでサトウキビ栽培の簡単な歴史を紹介しました。
ここからは純白の砂糖からは想像できないくらい、黒く暗い人類とサトウキビの歴史です。
サトウキビの栽培には、欠かせない3つの条件があることを説明しました。
- 十分な雨量と温度が必要
- サトウキビを栽培すると土壌の肥料が消耗して土地が荒れる(土地の植物を育てる能力を急速に失わせる作物)
- 栽培し、砂糖へ加工するには大量の労働力が必要
この条件の3つ目。
「サトウキビ栽培、砂糖への加工には大量の労働者が必要」という条件のために、サトウキビの歴史には奴隷という暗い歴史がついて回ることになるのです。
砂糖のあるところに、奴隷あり
サトウキビ栽培、砂糖への加工はどのような環境で行われたのでしょうか?
サトウキビはプランテーションと呼ばれる、大農場で奴隷を強制的に働かせて生産されていました。

プランテーションとは、世界商品(あらゆる国・地域で使われ、取引されている商品)だけを栽培する大規模農場のことで、先住民や黒人奴隷を使用して、サトウキビと同じ世界商品である、タバコや綿などもプランテーションで栽培されていました。
イギリス、フランス、スペインといったヨーロッパ諸国は、コロンブスによるアメリカ大陸発見以降、サトウキビの栽培に適した気温であったアメリカ中南米を中心に、サトウキビのプランテーションを大量に作りました。
そこで働かされるのは奴隷狩りによって連れ去られたアフリカの黒人たちでした。
奴隷貿易によって、商品として家族と切り離された黒人たちは、奴隷船に載せられ遠くアメリカまで連れてこられ、強制労働をさせられたのです。
サトウキビプランテーションは、サトウキビの栽培、ジュースの絞り出し、砂糖への加工と多くの労働力が必要で、栽培だけで済むタバコや綿よりも多くの奴隷が強制的に働かされていたと言います。
労働者としてアフリカからアメリカに連れてこられた奴隷は、1000万人以上と推計され現代にまで尾を引く少なくない影響を残したのです。
プランテーションの労働力として必要な奴隷を入手する奴隷貿易によって、働き手を失ったアフリカ大陸はその後の発展が遅れ、今でもアメリカ大陸に多くのアフリカ系の人々が暮らすことになったのです。
砂糖の栽培のために、地球上の人間の配置を変えてしまったのです。
イギリスからの独立運動を指導した、トリニダード・トバゴの初代首相エリック・ウィリアムズは、砂糖と奴隷の切っても切れない関係について次のような言葉を残しています。
砂糖のあるところに、奴隷あり
(川北稔. 砂糖の世界史. 岩波ジュニア新書, 2025,p.28)
サトウキビ”だけ”を作る島
サトウキビ栽培によって生じる影響は、奴隷といった強制労働者だけではありませんでした。
プランテンターたちは、商品価値の高い世界商品の栽培(それもたいていたった一つの作物の栽培)のみを行い、ほかの植物はほとんど作りませんでした。
そのため、生活に必要なモノは輸入に頼ることになるのですが、生きていくに必要な食料である穀物を輸入に頼ってまでサトウキビの栽培をする地域もありました。
このように、商品価値の高い単一の農作物だけを作ることを「モノカルチャー」と呼びます。
サトウキビのプランテーションが多く作られたカリブ海の島々は、一面がサトウキビに覆われ風景が一変するとともに、奴隷として連れてこられたアフリカ人の方が、先住民より多くなり、人口構成も一変したと言います。
それだけではありません。
単一の農作物しか栽培しないため、天候の影響を受けやすく、栽培する農作物の価格が下落すると大打撃を受けるなど、その土地の生産性を著しく偏らせることになったのです。
イギリスはなぜ産業革命できたのか?
奴隷貿易によって現代まで残る傷跡が残った地域がある一方、繁栄を手にした国もありました。産業革命によって急成長することになる、イギリスを代表とするヨーロッパ諸国です。
当時のイギリスは、植民地で奴隷や低賃金で現地民を働かせたり、奴隷貿易をすることによって莫大な富を得ていました。
特にサトウキビのプランテーションを所有するプランテンターと呼ばれる商人は莫大な富を得て、貴族よりも豪華な屋敷を建てたり、ロンドンの市長まで出世する人物もいました。
大きな利益をもたらす砂糖や奴隷の取引が、イギリスやフランスにおいて如何に重要視されいたかが分かる言葉が残っています。
ギニア貿易、つまり奴隷貿易ほど国家にとって貴重で保護すべき貿易は、ほかにありません。
(川北稔. 砂糖の世界史. 岩波ジュニア新書, 2025,p.109)
偉大なるかな砂糖。それはすべてに打ち勝つだろう。
(川北稔. 砂糖の世界史. 岩波ジュニア新書, 2025,p.109)

アメリカで生産される砂糖は、イギリスでも多く消費されました。見栄を張りたい商人や貴族の間で、重宝されたからです。
砂糖には他の食品にはない圧倒的な甘さのほかに、べらぼうに値段が高いという特徴がありました。
外国からの輸入品が高い当時、労働費が掛からない奴隷を使っているとはいえ、大西洋を船で輸送する必要のある砂糖は、まだまだ一般庶民には手が届かないぐらい高く、裕福な商人が見栄を張るにはもってこいでした。
べらぼうに高い砂糖は、自分の権力を示す「ステイタスシンボル」の役割を果たしたのです。
この時期に登場するもう一つのステイタスシンボルとの出会いが、砂糖の消費にさらに拍車をかけます。
イギリスと言えば真っ先に思いつく紅茶です。
砂糖を大量に入れて飲む紅茶が流行したのです。
紅茶はイギリスでは栽培できず、中国で栽培され長大な距離を船で輸送していました。
つまり紅茶の値段も高く、お金持ちが財力を誇示する「ステイタスシンボル」だったのです。
イギリスから遠い中国で作られた茶と、アメリカで作られた砂糖。
紅茶に砂糖を入れることで、ステイタスシンボルにステイタスシンボルが組み合わさり、文句なしのステイタスシンボルが誕生したのです。
お茶に砂糖を入れるという、中国人が聞いたら卒倒することは、イギリス人の見栄から生まれたのです。
われわれイギリス人は、世界の商業・金融上、きわめて有利な地位にいるために、地球の東の端から持ち込まれた茶に、西の端からもたらされる砂糖を入れて飲むとしても(それぞれに船賃も保険料もかかるのだが)、なお、国産のビールより安上がりになっているのだ。
(川北稔. 砂糖の世界史. 岩波ジュニア新書, 2025,p.88)
大量の植民地のおかけで莫大な富を得て産業革命に成功したイギリスやヨーロッパ。
イギリスが豊かになったのは、奴隷貿易で稼ぎ、奴隷の作った砂糖の取引で稼ぎ、砂糖プランテーションへのイギリス製品の輸出でも稼いでいたからにほかなりません。
植民地の富がすべてイギリスに流れ込んだのです。
イギリス産業革命のみならず、今日のヨーロッパ諸国の繁栄の裏には、その富を絞り続けられた奴隷がいたことを忘れてはいけないのです。
もう一つの砂糖の原料「ビート」の登場
ここまで、砂糖の原料サトウキビの話をしてきました。
最後に砂糖のもう一つの原材である「ビート」の紹介を少しします。

ビート(砂糖大根)が砂糖に加工されるのはサトウキビに遅れること1747年。
プロイセンの学者A・S・マルクグラーフが、家畜の飼料として広く使われているビートの根に、サトウキビほどではありませんが、かなりの糖分が含まれていることを発見したことがきっかけでした。
この発見により、科学者によってビートの品種改良やビートから砂糖を製造する研究が行われ、最初にプロイセン(現在のドイツ)でビートの製造が始まります。
ちなみに、これが温帯地方で本格的に作られた最初の砂糖でした。
ビートによる砂糖の生産はフランスやアメリカでも進み、サトウキビ栽培に欠かせない奴隷制に批判が集まっていたこともあり、1880年代にはついに砂糖の生産量でサトウキビを抜くことになります。
しかし、当初は政府の支援を受けていたビートも政府の支援がなくなると、価格が高くなり、サトウキビも各国から批判された奴隷を使う方法から、インド・中国・日本といった安い労働力に切り替えることで、生産量が回復しました。
現在では砂糖の60%がサトウキビが原料と言われています。
最後に
私たちの生活に欠かせない砂糖を通じて見えてくる歴史。皆さんには何が見えましたか。
著者の川北稔氏は言います。
「歴史学というのは、昔のことを調べるだけの学問にあらず。今ある世界がなぜこのようになっているのか、ここに来るまでにはどのような歴史的変遷があって今このようになっているのか。歴史学とはそれを研究するための学問である。砂糖は私たちの身近に合って、学べる格好の標本なのです。」
まさしく「すべての歴史は現代史」なのです。
本書を読むまでは、奴隷と言えば綿花・タバコ・コーヒーの生産と関わりがあり、砂糖には関係がないと思っていました。そのため、純白の砂糖と奴隷は切っても切り離せない関係にあると知った時は非常に驚きました。
また、イギリスの産業革命の裏には搾取されたアメリカ、アフリカの貧困があったことを知り、砂糖からしか見れない歴史に触れることができました。
本書にはサトウキビの歴史のほかにも、紅茶で有名なイギリスの話。薬としての砂糖。貴族たちが砂糖を使ってどうやって見栄を張っていたのかなど、知られざる歴史がまだまだ登場します。
本書を読んで、あなたも砂糖から見える今の世界を覗いてみてはいかがでしょうか?
